書店で言いようもなく惹かれる表紙の小説を見かけ、タイトルに『夢野久作』とあったので、その前にかの有名な奇書を読むことにしました。振り返ってみれば、初めて読む作家なら奇書と謳われる作品よりもとっつき易い短編から読むのが順当なのではないかと思いますが、その時は「そうだ、ドグラ・マグラ読もう」としか思えなかったので、得体の知れない何かに衝き動かされていたのでしょう。
まず、意外と読みやすいことに驚きました。以前、黒死館を数ページほど読んで、今の自分では理解が及ばないと判断して無期限延期にしたことがあるのですが、それに比べれば本当に読みやすいと思います。ですが、常識の枠に当てはまらない独自の理論を理解しながら読む性格が強いので、現代で娯楽を目的に書かれた小説と比べてしまえば格段に読むのに時間がかかりました。この段落の一行目の感想と矛盾しますが、読むのに覚悟は要る類の小説だと思います。
漢字とカタカナの開きがハイカラで、くすりとくるような滑稽で茶目っ気のある表現が随所にあり、擬音がシュールだったり、現代ではいわゆる放送禁止用語に指定されているような単語が連呼されているので、文体には良い意味で斜に構えた面白さを感じました。そもそも小説は嗜好品であって、誰彼構わず目に飛び込んでくる広告などとは違うジャンルに属しているのだから、現代でもマスメディア向けの概念に則る必要なんてないだろうに……というのは余談になるのでここで留めおきます。
精神病院を舞台にしており、健全な家庭で育った人が見たら若干引いてしまうような患者家族にまつわる記述については、同様の身内がいる人なら頷ける部分も多いのではないかと思います。どの箇所かを明言することはさすがにためらわれますが、似た境遇の人に寄り添う姿勢でいたいので、私は同意しましたとだけ書き記しておきます。共感できない幸せな環境で育った人間から、冷酷な人間として扱われた痛みと環境への嫉妬と不理解への失望は大人になっても消えることはありませんからね……。
細胞は体験を記憶し、脳髄は単なる電話交換局として機能し、夢は個々の細胞に刻まれた遺伝子の記憶が織り成す芸術作品だ――といった『胎児の夢』で繰り広げられる独自の思想は新しくも理論がしっかりと脇を固めているので説得力があり、印象深く私の細胞に残りました。
後半からは物語も動き始め、酩酊したような浮遊感で夢心地にみまわれました。
もし私が作家ごとに作風を場合分けしたら、夢野久作さんは京極夏彦さんと近しい位置に座すると思います。
時折ぱらぱらとめくって読み返したくなる箇所が多く、一読しただけではとある登場人物の正体を断定することができなかったので、後日、表紙がステキな短編集とともに紙の書籍を購入します。






